大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2364号 判決 1985年12月24日

控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

長谷川均

被控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

中村周而

味岡申宰

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

1  (控訴人の主張)

控訴人・被控訴人間の対立感情は、以下のように、春子の節度のない男性関係に端を発して生ずるに至つたものである。すなわち、昭和五一年五月ごろまで、春子の控訴人に対するいやがらせ的言動はあつたものの、控訴人がこれに耐えていたので、被控訴人との夫婦仲は極めて円満であつた。ところが、昭和四九年秋ごろから春子と交際をはじめた乙山春夫が夜間しばしば春子の部屋を訪れ、長時間、ときには深夜まで春子と同室するようになつたため、昭和五一年五月初めごろには被控訴人、サチ及び親類の者の間に、世間体も悪いので春子を別居させようという機運が生ずるに及び、春子もその気配を察し、同月八日、自ら新発田市内に部屋を借り受けた。もつとも、春子が実際にその部屋で寝泊りするのは土曜、日曜だけであつた。しかるに、サチは、他に部屋を求めた春子の行動にれんびんの情を催し、そのような状態に春子を追い込んだのは控訴人であるとして、控訴人を憎悪するようになり、春子と共に控訴人に対する中傷、いやがらせを繰り返した。そのため、被控訴人がこれを見かねて依頼した友人の丙原孝一による調整の結果、昭和五二年三月までに春子が被控訴人方を出て、完全に別居することなどを内容とする話合いが成立した。それにもかかわらず、春子は右話合いによる約束を守らないばかりでなく、サチと共に控訴人に対するいやがらせの度を強め、前記親類の者をも懐柔して昭和五二年七月ごろには控訴人・被控訴人間の離婚を画策したうえ、被控訴人に対してもこれを強い、その圧力に抗しかねた被控訴人が控訴人を疎んずるに至つてはじめて、控訴人と被控訴人間に対立感情が生じたものである。したがつて、控訴人・被控訴人間の右対立感情はもともと姑(サチ)、小姑(春子)と控訴人間のあつれきに由来するものであり、これにより控訴人・被控訴人間の婚姻関係が完全に破綻したとまではいい得ないばかりでなく、仮に右婚姻関係が破綻しているとしても、それは、夫としての自覚を欠き、春子やサチの一方的な意向に迎合した被控訴人のふがいない態度によつてもたらされたものであるから、有責配偶者として、被控訴人が自ら控訴人との離婚を求めることは許されないというべきである。

2  (控訴人の主張に対する被控訴人の認否)

すべて争う。

三  証拠関係<省略>

理由

一<証拠>によると、従前から頭書の住所地に所在する自己所有家屋で自転車等の修理販売業を営んでいた被控訴人(昭和一一年生れ)は、昭和四〇年五月八日挙式のうえ、実母サチ(大正三年生れ)と独身の実姉春子(昭和一〇年生れ)が同居する右家屋において、控訴人(昭和一七年生れ)と事実上の夫婦生活に入り、同年六月一二日婚姻の届出を了したものであつて、両者の間には長女夏子(昭和四一年四月一六日生れ)、二女秋子(昭和四二年一一月一二日生れ)の二名の子が出生したこと、なお、控訴人は、サチ、春子との同居を承知のうえ、被控訴人と婚姻したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

二しかるところ、被控訴人は、控訴人・被控訴人間の婚姻関係の破綻を主張するので、右両名の婚姻生活の推移について検討するに、<証拠>を総合すると、以下の各事実が認められる。<証拠判断略>。

1  控訴人が被控訴人と婚姻して間もないころから春子は控訴人に対するいやがらせ的言動を示し(例えば、控訴人がぼうこう炎に罹患した際、それが性病であるかのような発言をしたり、被控訴人は控訴人と婚姻するつもりがなかつたが、破談にすると慰藉料を請求されるので、やむなく婚姻したなどという言辞を用いたり、控訴人の嫁入道具に難癖をつけたりしたようなことがある。)、春子と控訴人の間には時折りもめ事が発生していたが、それらのもめ事自体はいずれもその場かぎりで納まる程度のものであつた。もつとも、そのような経過を通じて、右両者は互いに他を疎ましい存在として意識するようになつた。しかし、右婚姻後ほぼ一〇年間は、控訴人とサチとの折り合いは比較的良好であり、控訴人と被控訴人の夫婦仲も円満であつた。

2  ところが、春子は、昭和四九年ごろ、妻子のある乙山春夫と知りあい、交際するようになつたが、そのころから右乙山が夜間ひんぱんに春子の部屋を訪れて長時間滞在し、ときには深夜まで春子と同室することがあつた。そのため、控訴人及び被控訴人は、世間体が悪いことや夏子、秋子に対する悪影響をおそれて春子の別居を希望し、昭和五一年四月末ごろ、被控訴人が春子に対しその旨の要請をしたが、春子はこれを拒絶した。そこで、この件について被控訴人の叔父にあたる丁野幸雄や妹の夫にあたる戊原正和の意見を徴すべく、同人らに参集を求めていたところ、同年五月八日、春子は自ら新発田市内に別居のための部屋を借り受けるに至つた。なお、サチは春子を別居させることにつき、終始消極的であつた。

3  右のように他に部屋を借り受けたにもかかわらず、春子は従前どおり被控訴人方に帰宅して寝泊りすることが多く、別居の実をあげるに至らなかつたばかりでなく、控訴人が春子を追い出したとする春子及びサチと、控訴人の仲が険悪化し、昭和五一年七月二七日、サチはそのことに関して前記戊原、丁野らを自宅に呼び集めた。そして、その席上、戊原、丁野は家庭内紛糾の責任が控訴人・被控訴人にあるとして両者を非難したが、被控訴人はこれに反発し、「控訴人、子供らと共に家を出る」と発言するなどして、その日の話合いは物別れに終つた。そして、その数日後、控訴人は、右丁野から控訴人の意向を打診され、「サチはともかく、春子と仲良くやつていく自信はない」と答えた。

4  その後、被控訴人は友人の丙原孝一に家族関係の調整を依頼し、昭和五一年九月ごろ、同人を介して、控訴人は家事一切をサチに任せて勤めに出ること、春子は昭和五二年三月までに完全に別居することなどという話合いが成立した。そこで、控訴人は昭和五一年一〇月から新発田市内のスーパーマーケットに勤務するようになつたが、春子は、かえつて、同年一一月ごろ、さきに借り受けた部屋を引き払つて被控訴人方に戻り、右話合いによる期限を経過するも別居しようとしなかつた。このため、控訴人と、春子及び同人に同調するサチとの間柄はさらに険悪化し、ときには控訴人と春子が口論の末、つかみ合いとなる事態さえ生ずるに至つた。

5  このような経過をたどつたうえ、昭和五二年七月七日、坂戸某を通じて、被控訴人ないしサチから控訴人の実家(親もと)に控訴人引取り(離婚)の申入れが行われたが、翌八日、控訴人と被控訴人が同道して右実家を訪れ、話合いをした結果、被控訴人はは右申入れを撤回した。

6  しかし、その後も控訴人とサチ、春子とのあつれきはますます深まり、被控訴人もそのあつれきの原因が控訴人の言動にあるなどとして控訴人を非難するに及んで、両者の夫婦仲も次第に険悪化し、口論を繰り返すようになつた。そして、被控訴人は、昭和五三年二月二二日、新潟家庭裁判所新発田支部に控訴人との離婚を求める調停を申立て、そのころから被控訴人及びサチ、春子は、控訴人及び夏子、秋子と食事を別にとるようにもなつた。もつとも、その後も被控訴人は控訴人と寝室を共にし、時折りは両者の間で夫婦関係がもたれていた。

7  被控訴人が申立てた右離婚調停は、昭和五三年七月二六日、不調により終了したが、右不調の原因は、被控訴人が控訴人との離婚に、控訴人が婚姻関係の維持継続にそれぞれ固執したことにあつた。そして、その間の同年五月ごろ以降、被控訴人は、控訴人と寝室も別にし、控訴人との夫婦関係が途絶したばかりでなく、前記家屋内の一室で夏子、秋子と共に生活を営む控訴人とは毎日の食事を含むすべての生活関係をも別にするに至つたが、このころから控訴人とサチ、春子の間柄はさらに一層険悪化し、互いに口論の末、サチが控訴人の顔面につばを吐きかけるようなこともあつた。また、これに伴い、控訴人と被控訴人間の亀裂も深まり、両者の間で暴力沙汰が生じたこともないではないが、むしろ、被控訴人には控訴人との接触を嫌う傾向があり、勤務先から帰宅する控訴人との対面を避けるため新発田市内でアパートを賃借し、そこで寝泊りすることがあつた。

8  本件訴訟は、前記調停終了後の昭和五三年八月三一日に提起されたものであるところ、同年一〇月二五日、新潟家庭裁判所新発田支部において、右訴訟係属中の暫定措置として、被控訴人は夏子、秋子の学費のほか、一か月二万円の養育料を負担することなどを定めた家事調停が控訴人・被控訴人間に成立し、控訴人は、前記スーパーマーケットで稼働して得る収入と被控訴人から支払を受ける右養育料等により、自己及び右二名の子の生計を維持していたが、昭和五九年七月二三日、同支部において、控訴人・被控訴人間において更に、控訴人と被控訴人は同年九月一五日限り別居し、同別居期間中の婚姻費用として、被控訴人は控訴人に対し一か月一三万五〇〇〇円を支払うこと、被控訴人は右別居に要する費用五〇万円を負担することなどを定めた家事調停が成立し、控訴人はこれに従つて夏子、秋子と共に頭書の現住所地に居を移した。その当時、夏子、秋子はそれぞれ高等学校三年生、二年生として在学中であり、夏子は大学受験を希望していたが、右転居のころから素行不良者との交友、及びこれに伴う夜遊び等、行動の乱れが現れるようになつたので、右交友関係を絶つて、受験勉強を励まさせるため、被控訴人方に戻るよう控訴人が勤めたところ、夏子もこの勧めに従い、同年一一月ごろ、被控訴人のもとに戻り、生活を共にするようになつた。なお、秋子にも夏子と同様の行動が顕著であつたが、その後、やや落着きがみられるようになつた。

9  右転居後、サチは控訴人に対する態度をやや和らげ、夏子、秋子に関する事柄等について電話で会話を交すようなこともあるが、被控訴人は依然として控訴人との離婚を希望し、他方、控訴人は被控訴人との夫婦仲の復元に望みを託し、また、後記のとおり夏子、秋子が右離婚に反対していることを理由に、婚姻関係の維持継続を切望して、そのためにはどんなことでも努力したい旨を当法廷で供述している。

10  夏子、秋子は、控訴人に対する春子、サチ及び被控訴人の言動、とりわけ春子のそれを理不尽なものと考えて反感を抱くとともに、控訴人と被控訴人との離婚を極度に恐れ、かつ、嫌悪している。なお、夏子は、昭和六〇年四月、京都市内の女子大学に入学し、学生寮に入寮したが、これに伴い、被控訴人は入学金、授業料等を負担したほか、控訴人に対し、前記調停により定められた婚姻費用をおおむね滞りなく支払つており、控訴人は、被控訴人から支払を受ける右金員と、従前どおりスーパーマーケットで稼働して得る収入により生計(学費以外の夏子の生活費を含む。)を維持している。

三そこで、叙上認定の事実関係に弁論の全趣旨を総合して検討すれば、控訴人・被控訴人間の婚姻関係破綻の有無等について、次のとおり判断することができる。すなわち、控訴人と被控訴人の婚姻生活は、当初のほぼ一〇年間、格別の波乱もなく、平穏に推移した。しかし、その間における春子の度重なる心ない言動により生じた春子と控訴人との確執が徐々に顕在化しつつあつたところ、昭和四九年ごろ以降にみられた春子の節度のない男性との交際を控訴人及び被控訴人が嫌い、被控訴人において春子を別居させようと試みたものの、功を奏さず、かえつて、これを契機に、春子を別居させることに消極的であつたサチが春子に同調して控訴人と対立し、控訴人も春子、サチのいやがらせ的言動に過剰に反応したきらいがあつて、次第に家庭内の紛糾が激化した。しかも、ここに及んで、被控訴人もサチ、春子の意に従い、同人らに対する控訴人の態度を非難するに至つたため、控訴人と被控訴人の夫婦仲にも亀裂が生じたが、その亀裂が、日常生活中に生起する些細な出来事の累積によつて、時日の経過と共に容易に解消しがたい不和、あつれきに発展し、ついには同一家屋内に居住しながら、被控訴人・サチ・春子と、控訴人・夏子・秋子が相反目しつつ別個に生計を営むという緊張状態が出現したものであり、この時点において、控訴人と被控訴人の婚姻関係が破綻の危機に瀕したことは否定しがたいところである。しかしながら、控訴人と被控訴人の間には夫婦間に固有の紛争があつたわけではなく、右両者間の不和、あつれきは、家族の者に対する配慮・心遣いを欠くものとして非難を免れがたい春子の言葉を端緒として発生した家庭内の紛糾に由来するものであるから、控訴人が現住所地に別居した後のサチとの関係に多少の改善がうかがえないでもない点をも考慮すれば、被控訴人において、両親の離婚を嫌い、良き婚姻関係の回復を祈念している夏子、秋子の心情に思いを致し、春子に対してその言動についての自覚・反省を促し、あるいは春子を別居させ、又は自ら別居するなど、家庭内融和のための方策を講ずることにより、控訴人との良好な婚姻関係を取り戻し得る可能性がないものとは断じ得ない。控訴人もまた、良好な婚姻関係を取り戻すためには、どんなことでも努力したいと決意しているのである。したがつて、現段階においては、控訴人・被控訴人間の婚姻関係がすでに完全に破綻しているものとは認めがたいところ、本件全資料を精査しても、他に右婚姻関係を継続しがたい重大な事由が存在することを肯認するに足りる証拠を見いだすことはできない。

四以上の次第で、被控訴人の本訴離婚請求は理由がないから棄却すべきものであり、これと結論を異にする原判決は不相当であつて、取消しを免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官後藤静思 裁判官奥平守男 裁判官尾方 滋)

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